自分にできることを淡々と地道にやる

結構、私は政治とか社会のあり方について、こうあるべきだとか憤りを覚えることが多かった。

最近考えが変わってきて、あまり意味がないんだなと思い始めた。

それより、自分にできることを淡々と地道にやる方が、生産的なんだなと思い始めた。

 

 

政治や社会に無関心でいるのとは違って、ただ無責任な憤りだけ感じるのをやめた。

権力者の言動にいちいち感情を揺さぶられるのは、すごくエネルギーの無駄遣いのような気がしてきた。

冷静さを失わずに見ることが大事だと思う。

 

 

その上で、自分に何ができるかを考える。

わかったらそれを、淡々と、地道にやる。

私にとってはその方が生きやすいと思った。

 

 

自分にできることはとても小さなことしかないかもしれない。

私は凡人なので、そんな突飛なこともできない。

リソースも限られている。

なので、小さいことを着実にやっていくしかない。

 

 

いい意味での諦めがついたのだと思う。

私は日々の暮らしをしっかり味わっていこう。

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鬱っぽい:こだわり

びっくりするほど何にも意欲が湧かなくて、自分に苛々している。

季節的に鬱っぽくなっているみたいだ。

躁状態に比べると気持ちは楽だが。

こういう時、どう過ごしたら良いのだろう。

やらなきゃいけないことは多々あるのに、全くできていない。

ぐたーっとしている。

ずっと好きだった「ノートを書く」という行為すらできていない。

毎年のことだけれど、躁鬱はつらいな。

 

 

人に対しても自分に対しても、優しく生きたいなと思う。

躁状態の時は人にきつくなるし、鬱の時は自分にきつくなる。

もう少しこだわりを捨てて、大らかに生きたい。

人や自分を許したい。

細かなことにこだわって、大事なものを失うのをやめたい。

 

 

今日は日曜日だし、思い切りダラダラしよう。

ゆっくり休んで、のんびり過ごす。

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利己と利他

私たちは何より、自分自身を大事にしなければならない。

自分自身が幸せでなければ、人を幸せにはできない。

本当の意味の利己を極めれば、必ず利他に結びつく。

利己というのは、自分さえ良ければ、というものではない。

 

綺麗な町に住みたいと思えば、玄関先を掃除する。

ポイ捨てなんて絶対しない。

ポイ捨てをするのは、自分さえ良ければ、と思っているから。

本物の利己はそんなことをしない。

何故なら、綺麗で安全な街、国、世界で暮らしたいと思っているから。

それはそのまま利他にも繋がる。

 

みんなが本当の意味の利己を追求していけば、この世界はもっと良くなる。

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